知多半島の山車  
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山車まつり

 

「山車まつり」
■大府市
■阿久比町
■半田市
■武豊町
■美浜町
■南知多町
■常滑市
■知多市
■東海市
■夏祭りは「女のまつり」

 

■武豊町の山車まつり

 武豊の町名は新しい名である。明治になって長尾村と大足村が合併したときに、両村の氏神である武雄神社と豊石神社より一字づつとったものだ。長尾、東大高、富貴、市原地区は春祭りであるが、大足の祭りは夏に行われる。山車上より豪快に花火が打ち上げられ知多の夏の風物詩となっている。

 (長尾)
 長尾祭りというより武豊祭りといったほうがよい。武豊町の中心部で祭りは行われる。六台の山車が各地区より武雄神社に勢揃いする。宝暦五年に長尾村祭礼に一台の山車が出たことはわかっているが、その山車は現存していない。
 長北車は上野村(豊田市)より大正十五年に三百円で購入したもの。この山車は文政十年(一八二七)に建造されたもので古い。
 鳳風車は車庫の板に文久二年(一八六二)に横松の岸幕善兵衛らによって建造されたことが書かれている。
 下門の山車は大正十三年に上半田より購入したとの伝えがある。
 市場の神宮車と上ヶの山車は大正年間に建造された。上ヶに関しては以前にも三井家寄進の山車があったともいう。
 玉貫の山車は上半田北組より成岩乗組へ、さらに玉貫へと転売されたものである。この山車は、伊勢湾台風で
山車倉とともに倒壊し、傷んだため二十五万円で京都の映画制作所に売られた。時代劇らの祭り風景に登場している。この山車はその後、映画界の不況で売りに出たところを改めて玉貫組が昭和五十五年に買い戻したものである。

 (大足)
 大足の祭礼だけが夏祭りである。俗に蛇祭りや火祭りともいわれる。その昔、衣浦湾に棲む竜神の娘が小夜衣という名で人間に化身し、ある若武者に想いを寄せる。結ばれぬ恋に小夜衣は命をおとすこととなる。小夜衣姫こそ豊石神社の祭神であり、彼女の霊を慰めるために蛇庫より花火が打ち上げられる。
 蛇車は天保十年(一八三九)に大谷村より購入された山車で、前壇天井に寛政八年(一七九六)横松大工善兵衛、上山棟木に寛政十一年塗師当村仁左衛門とある。この頃に大谷の山車は建造されたものであろう。現存する山車としては最も古い山車のひとつである。

 (東大高)
 浦島太郎ゆかりの知里村神社に山車一台が奉納される。山車の長持裏面に天保十四年と墨跡がある。幕末に岩滑の義烈組が東大高に売却したといい、別に天保十年に大谷村より購入したともいう。いずれにしろ古い型の山車が現在も祭礼に曳き回されることは、生きた資料を眼にすることができ嬉しい。

 (富貴)
 富貴には二台の山車がある。富貴組の山車は明治六年(一八七三)に江原庄蔵らによって建造された。
 富貴市場組の山車は、上山に舟車を乗せる珍しい山車である。天明年間(一七八一〜九)には千石船型山車が村内を練った。文久三年(一八六三)に常滑の大工利右衛門らによって再造された。現在の山車は明治から大正にかけて建造されたという。

 (市原)
 富貴より奥に入った静かな集落の市原にも山車がある。昭和四年に協和の砂子組より山車を購入した。彫刻を除く山車本体を譲り受けたもののようだ。壇箱の力神は亀崎の中切組の力神を模したもので、二代目彫常の作である。

 
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