知多半島の山車  
前のページへ 次のページへ  【知多半島の風トップへ】
山車まつり

 

「山車まつり」
■大府市
■阿久比町
■半田市
■武豊町
■美浜町
■南知多町
■常滑市
■知多市
■東海市
■夏祭りは「女のまつり」

 

■半田市の山車まつり

 半田市は各地区の祭礼に三十一台もの山車が出る。人口が十万人に満たない都市として、三十一台の山車を保有することは、過去において半田が裕福な土地であったことの証明であろう。
 昭和五十四年に「はんだ山車まつり」が開催され、三十一台の山車が一同に会したことは記憶に新しい。全国の祭ファンの度胆を抜くような迫力ある山車祭りは見物人を圧倒した。六十三年にも「はんだ山車まつり」は行われ、今後五年に一度は山車祭りを行う予定で、半田市は知多の山車祭りの中心といってよいだろう。
 三十一台の山車すべてが市文化財に指定されている。

 (亀崎)
 俗に「潮干祭り」の名で知られる。干潮の浜へ山車を曳き下ろし、化粧した若衆がドロンコにまみれる天下の奇祭として有名であった。伊勢湾台風後に海岸線に防潮堤が築かれたため、県社前に五台の山車が勢揃いするだけとなった。知多の山車の中で最も優れているのが亀崎の山車といわれるのは、立川流の重厚で立体感溢れる彫刻と、豪華な幕の刺繍、さらに華麗に舞うからくり人形と調和の中に華のある山車だからであろう。
 亀崎の山車祭りの起源は、戦国時代、伊勢より亀崎に移った稲生氏らが、荷車に笹竹を立て巴紋の松を張り囃子で村内を練ったことに始まるという。三代亀崎城主の稲生政勝は師崎の千賀氏の重臣となり、大坂夏の役で豊臣方の軍船大坂丸を捕獲した勇将である。亀崎祭の起源を考えるに師崎の山車との関連を調べてみたい。
 宮本車は文化年間(一八〇四〜一七)に古い山車から再造されたが、元治二年(一八六五)現在の山車を建造したため旧車は三河の新川鶴ヶ崎に売却している。
 青龍車は文化十三年(一八一六)に新しい山車を再造したため、旧車を新須磨に売却。さらに明治二十四年(一八九一)に新しく再造している。
 力神車は文政九年(一八二六)に立川一門により建造された。逸話として、三代目成田新左衛門が遠州秋葉山へ参詣に行ったとき、山門の見事な彫刻に感動し、同じ彫物を山車につけたいと当時名人といわれた諏訪の和四郎に依頼したものという。この時に山車制作に携わったのが横松大工の庄蔵、善次郎らである。
 神楽車は天明八年(一七八八)に再造、旧車を大浜の中ノ切に売却。さらに天保八年(一八三七)立川一門の手による山車が建造された。
 花王車は弘化三年(一八四六)に立川一門により建造され、旧車は板山の日役に売却された。この山車は現在知多市の北粕谷に現存するものと思われる。

 (乙川)
 知多の春祭として、一番最初に、まだ寒風吹き荒れる三月中旬に行われるのが乙川祭りである。糸切風と乙川祭りは知多路の春を呼ぶといわれる。俗に「喧嘩祭り」で有名で、八幡神社での坂上げで、後楫の取りあいが激しいことからこの異名をとる。
 乙川の山車祭りの起源は、名古屋城築城の時に加藤清正が城の石垣の石を運搬したことに始まるとの伝えを残す。だが、伊勢湾からの石や資材を運搬するのに船や筏が使用された。そのために名古屋城まで運河が掘られている。現在の堀川である。おそらく『尾張名所図会』の「加藤清正石引きの図」よりでた伝えであろう。
 八幡神社に残る『乙川祭礼山車絵図』の絵巻があり宝暦五年(一七五五)の山車祭りを伝える。当時の山車祭り風景を伝える貴重な資料である。知多型の山車の原形ともいうべき前山のある山車が描かれている。中でも興味深いのは、神官が前棚に乗り御幣を振っていることである。御幣は神霊の依代であるとともに払い具で、山車が村内を回るのに道々御幣を振って、悪病らを払ったのであろうか。本来の山車曳き回しにはそんな意味があったのだと思われる。
 宮本車は明治五年(一八七二)に旧車から再造されている。さらに昭和二十五年に大改造された。
 源氏車は嘉永六年(一八五三)に再造。昭和二十四年に大改造された。
 八幡車は文化年間に再造された。慶応(一八六五)頃に河和へ売却している。
 神楽車は天保七年(一八三六)に再造され、旧車の前山は乙川法蔵院の仏殿となっている。明治四十三年(一九一〇)と昭和二十五年に大改造されている。

 (岩滑)
 祭礼でよく揉め事があったため「もめ八幡」といわれた。またかっては山車祭りに、長さ二十メートル余の柱による幟が立てられた。知多随一の大織りとして村自慢であった。
 八幡車は天明(一七八一)以前にすでにあったようで、嘉永二年(一八四九)、さらに大正八年(一九一九)に半田の石堂喜一によって新しく再造された。
 御福車は文化年間に建造された。大正六年に大改造され、旧車は板山の小板組に売却する。

 (岩滑新田)
 二台の山車が、春の陽ざしの中を田畑を背景に練る光景はのどかそのもの。昔の祭り風景を見る思いがする。
 神明車は大正四年に横松より購入。大正九年に新しい山車が江原芳兵衛により建造され、旧車は下半田の東組に売却する。この山車はさらに大井へ売られ、古い型を留める山車として貴重な資料となっている。
 旭日車は大正五年に宮津の大工、岡戸峰二郎によって建造された。

 (上半田)
 住吉神社はかって入水下神社といい、船乗りの神さま住吉三神を祀る。住吉神社の祭礼は山車の曳き回しより「チントロ祭り」のほうが有名である。宮池より花火が打ち上げられ春の夜空を彩る。チントロの名は巻藁船に飾られた珍燈籠によるといわれる。別に祭囃子の音色のチントロサッサッイから呼ばれた名ともいう。
 山車は天保から弘化(一八三〇〜四七)にかけて建造された。唐子車は大正三年に台輪だけを残し、山車上部は成岩東組へ五〇〇円で、幕と水引は武豊町上ヶ組に三〇〇円で売却した。大正十二年に石堂喜一により新しい山車が再造された。
 福神車は大正十一年に旧車を常滑の瀬木へ売却、再造する。

 (下半田)
 下半田の山車の歴史は古い。業葉神社の古文書写に元文四年(一七三五)すでに三台の山車が存在したことが書かれている。
 下半田祭りは、宵祭の業葉神社で提灯を飾り、山車が闇の中を進むたびに、提灯が夜風と山車の動きに揺れる光景は、まさに祭りの極致を見る思いがする。また、山之神社からの曳き下ろしで、S字の急カーブを楫きる妙技は絶妙で祭りの見せ場となる。
 唐子車は元文四年後には寛政年間(一七八九〜八〇〇)に新しく再造されている。天保九年(一八三八)に立川一門の昌敬の手により現在の山車が造られた。
 祝鳩車の古い山車については定かではないが、亀崎の西組と深い関係があったようだ。大正三年に石堂喜一によって再造された。彫刻は初代彫常の傑作である。
 護王車はかってはゑびす車といわれたようだ。嘉永年間(一八四八〜五三)に造られた山車は明治十四年(一八八一)に布土の上組に売却された。その後、明治三十四年(一九〇一)に江原新助によって再造された。
 山王車は大正九年に岩滑新田の平井組より購入したが、大正十四年に新しい山車を建造したため大井の浜組へ二五〇円で売っている。

 (協和)
 白山神社は、境内に桜を吟じた芭蕉の句碑が建てられたように、昔より桜の名所であった。春祭りでは、山車の進むにつれ、道まで伸びた桜の枝に山車が触れ花吹雪が舞う。協和の祭りが有名なものに、急斜面の坂道を一気に山車を曳き上げることにある。山車の坂上げ坂下しは勇壮そのもので、男の山車祭りに相応しい。昭和三十年頃までは若衆手製の手筒花火が宵祭で打ち上げられた。若者の肝試しの場でもあった。
 白山車は明治にすでに山車があったようだが、伊勢湾台風で古文書類が流失したために定かでない。大正二年に新しい山車が建造されたため旧車は武豊の市原へ売却された。
 協和車は大正十三年に新しく建造された山車である。

 (成岩)
 四台の山車が砂埃りをあげ威勢よく成岩神社に練りこむ。成岩祭りは平安時代の舞楽をよく伝承された「大獅子小獅子」の舞が奉納される。県の無形民俗文化財に指定されている。
 成車は大正十三年に建造され、初代彫常の彫刻は優れたものである。それ以前にも山車があったようで、旧車は翌年に成岩西組に売られた。
 神車は大正十四年に北組より購入した山車であったが、昭和二十三年に大改造している。
 南車は宝暦二年(一七五二)建造された。その後数度にわたって再造、改造が繰り返されたが、昭和十四年に改造されたのが現在の山車である。
 旭車は大正十二年に上半田北組より購入した。その山車であろうか武豊の玉貫組へ売られている。

 (西成岩)
 成石神社に西組敬神車と彦洲日之出車が揃う。境内では櫓が組まれ餅投げが行われる。
 敬神車は明治十一年(一八七八)に新しく建造された。
 日之出車は明治四十四年に建造されたが、昭和二十六年に改造されている。

 (板山)
 板山には四台の山車があるが、板山神社には本子車、花王車、旭車が、八幡神社には神力車が集う。八幡神社では、海部郡中心に伝承された「嫁獅子」が奉納される。素朴な村芝居を、獅子頭を被り嫁の衣装を着た獅子が演じる。半田市無形民俗文化財に指定されている。
 板山と海部郡の関係は深いようで、板山神社はかって春日社と称したが、海西郡立田村の八幡社と神明社を合祀している。板山の新田開発に海部郡より入植者があったのであろうか。
 水子車は明治十二年に建造された。
 旭車は大正六年に岩滑の西組より購入する。昭和二十三年に改造している。
 花王車は亀崎の西組より弘化二年(一八四五)に購入する。山車名もそれに因む。この山車は昭和二年に新しい山車が再造されたために北粕谷(知多市)へ売却された。
 神力車は明治五年に再造されたもので、それ以前にも山車があったようだ。

 
<前のページへ 次のページへ>
10

-4-