知多半島の山車  
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山車まつり10

 

「山車まつり」
■大府市
■阿久比町
■半田市
■武豊町
■美浜町
■南知多町
■常滑市
■知多市
■東海市
■夏祭りは「女のまつり」

 

■東海市の山車まつり

 東海市の山車祭りは、知多半島の多くの祭礼が春に行われるのに対して秋祭りとなる。春祭りはその年の豊作を祈願する祭りだが、秋祭りは豊作を感謝する祭りとなる。東海市の山車の構造はからくり人形の演舞を主体とする名古屋型山車である。

 (横須賀)
 横須賀は半島の西海岸を取締る代官所があった。江戸時代の西浦の中心地であった。山車祭りの歴史も古く、尾張二代藩主光友公が横須賀御殿(今でいう別荘)滞在の折、町民が慰めんと山車祭りが行われたとの伝えがある。光友が亡くなったのは元禄十年(一七〇〇)であるから、それ以前に山車があったことになる。古くは傘の上に長刀を飾った傘鉾車が町内を練る祭礼であった。横須賀町方の記録『古今綱領目録抄』によれば亨保六年(一七二一)にすで山車の名がみえる。
 横須賀祭りには五台の山車が揃うが円通組の山車蔵に文化二年(一八〇五)建造との棟札があり、五台の山車とも文化・文政頃(一八〇四〜二九)に建造されたものであろうことが推測される。それ以前にも山車はあったであろう。
 円通組と八公組が合併して公通組となったため、毎年の祭礼にこの組だけは交互に山車を出す。このため愛宕神社の祭礼には四台の山車の勢揃いとなる。
 横須賀の山車は名古屋型で采振り人形が座る采振り棚が設けられている。前山がない。高さ六・八メートル、重さ五・五トンもあるという大きな山車で、この山車の楫に肩をかけ担いだまま回転させる「どんてん」が祭りの見せ場となる。東海市指定文化財である。

 (大田)
 木田村と大里村が合併して大田となった。大田祭りは元は大里祭りと呼ばれていた。樟の大木が羽ばたくように枝葉を拡げた大宮神社は名鉄の車窓からも望むことができる。そこに山車が四台勢揃いする。
 荒古組の山車は天明三年(一七八三)に建造された。他の三台も相前後して建造されたものであろう。里組は文化十年(一八一二)に再造。市場組の山車は文化九年に造られた。黒口組の山車は文政十一年(一八二八)に再造された。横須賀と同時期に山車が新しく建て替えられていることは、隣村と祭を競いあった影響によるのであろうか。ただ、山車の構造はやや違いをみせている。荒古組の山車だけは明治十三年(一八八〇)に新しく再造されている。東海市指定文化財である。

 (高横須賀)
 諏訪神社に四台の山車が奉納されていた。だが、明治四十一年(一九〇八)に、その年の祭礼役員により、山車があるから祭りに金がかかるのだと山車祭りは廃止されてしまった。
 今川組の山車は小型の山車で小根(知多市)へ売られた。彫物自慢の南脇組の山車は北条(常滑市)に売られる。いずれも山車蔵とともに当時の金額で五十円という格安で売却された。また、障子張りの西脇組の山車と、葦簾張りの東脇組の山車は解体され、木材として競売されてしまったという。
 今にして思えば貴重な郷土遺産であったのにと惜しまれることであろう。

 (加木屋)
 現在は熊野神社の祭礼、加木屋祭りには子供神輿が奉納されているが、かっでは加木屋でも山車の曳き回しが行われていた。今これを知る人も少ない。
 北組常磐車、中組慶応車、南組本若車の三台の山車が慶応初年(一八六五)に建造された。明治の初めになって、山車巡幸の途中で、白拍子への坂道にさしかかったところ、山車が突然逆行し道端で見物していた人の波に突っ込んで負傷者が多数出るという惨事となった。このために、二度と事故を起こさないために三台の山車とも解体処分されたという。

 (名和)
 名和の三ッ屋地区では明治中頃より傘車が町内を練った。提灯や色紙で飾った台車に雄松を立てたものだ。桑名から名古屋南部に伝わった傘鉾車の一種で、古くは横須賀祭りにも傘鉾車が出たという。三ッ屋地区が名古屋南部と隣接し、また新田開発などで関係が深かったのかもしれない。
 伊勢湾台風後に休止していたが、昭和五十四年の秋祭りで復活した。


■夏祭りは「女のまつり」 

 半田市には、夏の盆踊りに曳き回される山車がある。下半田では明治にはじまった。北、中、東、南組に夏祭りの山車があったが伊勢湾台風で破損などしたため休止されていた。
 近年、北、中組の二台の山車が、市民盆踊り大会で復活し話題になった。
 亀崎の尾張三社祭でも明治十年に舟型に提灯で飾った山車が登場した。その後、山車上で子供らの踊りが演じられたりする。下半田と向じように伊勢湾台風で休止されていたが、昭和五十六年の四神車復活につづき唐子車、朝日車、牡丹車が相次いで復活している。
 夏祭りは俗に「女のまつり」といわれる。山車彫刻や幕刺繍などなく豪華さに欠けるが、提灯や造花で飾られた山車には、明るく華やいだものがある。下半田の山車には朱塗りの舞台が設けられ、芸者衆の囃子にあわせて踊り子が舞う。かって、新川沿いをゆっくりと進む花車は、揺れ動く提灯や女性の艶っぽい掛け声に、子供の私は、大人の世界を垣間みるような雰囲気に魅せられたものである。思案橋畔では同時に子供相撲が催され、私はその常連で賞品をいっぱい抱えて家に帰ったものだ。

 

文・本美信聿 (郷土史研究家)

総合文芸誌「ゆうとぴあ」に参加執筆されている本美 信聿様のご厚意により、公開させていただきました。

 

 
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